2012年07月22日

「毒まんじゅう」に学ぶ介護技術論

「施設に押し込められたらどうしよう?」

「じゃあ、お嫁さんにいい顔しなきゃ!」

ご家族の介護疲れが顕著に現れ出した先日、お嫁様が体調を崩され
ある利用者さんがいこいの里で緊急でショートサービスを受けた。

この利用者さん、頭がよく、ちょっと意地悪なところがある。
(ちょっとじゃないかもしれない...)
愛情に飢えて育ってきたことが原因か、自分でできることも
周りに甘えてやらせてしまう。


お嫁さんはとても真面目な方でそれが災いしてか、

「嘘をついてわざと私たちをいじめようとしている、もう限界!!」

と少しノイローゼぎみになってしまった。

このまま施設に入ってしまうのではという流れだったのだが、
ご本人の強い思いと、ご家族のまだまだ残っているご本人への配慮や愛情で
今回は見送りになった。



施設に入らないようにがんばろう!

状況が状況なだけに担当看護師は今回真剣にご本人とお話されました。

とりあえずトイレを一人で行えるようにしましょう。
リハパンの右側をまず右手で上げて、それから左側に手を回して
左の後ろ側を上にあげる。

ぜんぜん一人でできるじゃないですか?

これからお一人でできますか?

できます!


トイレを一人で行えるようにすることですべての問題が解決されるわけではないですが
できることも「できない!」として、周りに甘えてしまっている利用者にとって
大きな変化になります。
そして利用者さんの変化が周りをすこーしずつ変えていきます。


嫁、姑関係をテーマにした「毒まんじゅう」という物語を知っていますか?
互いにちょっとした気配りで理解し合えることを説いています。

(ある記事からの抜粋)

意地悪で嫁いじめをする姑をひどく嫌い、毒殺してでも苦しみから逃れたいと考えた嫁。
考えあぐねて、ある医者を訪ね、
「姑を緩やかに殺せる毒を調合してください」
と懇願します。

嫁の立場に同情した医者は「これを少しづつ飲ませなさい」と、
望み通りの毒薬を調合してやる。
嫁は喜び、毎日のように美味しい饅頭を買っては、それに少しの毒薬を混ぜて、
姑に食べさせるようになりました。

ところが、姑はそれを誤解して、「嫁がすっかり優しくなった」と喜びます。
それで今まで全くしなかった、家の掃除や食器の片付けを手伝うようになるのです。

すると、今度は嫁の気持ちに変化が起こりました。
ある日、医者のところへ訪ねて言います。
「先生。姑が意地悪をやめて優しくなりました。
これなら一緒に暮らしていけそうです。もう毒薬は要りません」

それを聞いた医者は、それならと言って、告白をします。
「あなたに渡してきたのは、毒薬でも何でもない。
これからは、毒入り饅頭なしで、仲良く暮らしていきなさい」


「嫁が良く変わった(ように見えただけだが)ことで、姑が変わった。
姑が優しく変わったことで、嫁の姑に対する気持ちが変わった。
ウソでも変わったように見せるだけで、相手は態度を変えるのなら、
本当に変われば、どれくらい相手を変えることができるだろうか」



野口嘉則著書の「鏡の法則」にも似ていますね。

相手は自分を映し出す鏡で、自分が変われば相手も変わる。
そんな単純なことでも、我々にはなかなか難しいことです。


「利用者本位」という考えも少しずつ変化してきている。
利用者を取り巻く環境要因が及ぼす影響はかなり大きく、
やはり一番であるご家族の問題なしにその方の問題解決には当たれない。

ケアマネジメントする上で本当に難しいところは家族特有の問題に
仲介として入らざるを得ないときがあり、
利用者さんとご家族の双方の言い分を聞きながら、
何が一番ベストな方法かを探っていく作業は困難を極めます。
利用者さん側が少し弱いと、施設に入れて「一件落着!」となるケースが
本当に多いことに疑問を投げかけてきましたが、じゃあ果たして何ができる?となると
次の一歩が出てこない。

ケアマネだけでは解決できない問題は多々ある。
地域ぐるみで社会資源を作り出していくべきなのだが...


行政を動かして...

まずいこいの里が目指す「家族会」の創設...
急がなきゃ!




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